フリスビー(フリースタイル)の歴史

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HISTORY

パイ皿が発祥!?

 フライングディスクの起源は諸説ありますが、一番有力なのはブリキのパイ皿でしょう。アメリカ・コネチカット州ブリッジポートにあったフリスビー・ベーカリーのパイ皿と言われてます。ある時、エール大学の学生達が母校のフットボールの祝勝パーティーで、盛り上がった学生達がこのパイ皿を投げあったのが発祥とされています。1940年代の事で、この風景を見たウォルター・フレッド・モリソン氏が金属製のパイ皿では危険なので改良を試み、1947にはプラスチック製のディスクを考案し、1957年にはWHAM-O(ワーム・オ)社に権利を譲り、同社はフリスビー(FRISBEE)と名ずけました。命名は発祥となったフリスビー(FRISBIE)・ベーカリーからとったもので登録商標の都合でFRISBIEの綴りのIをEに差し換えてFRISBEEとなっています。ちなみにWHAM-O(ワーム・オ)社はフラフープのメーカーとして有名です。

 1959年にはフリスビーは本格的な商品化、販売へと発展し現在にいたってます。

これがフリスビー・ベーカリーの
パイ皿(実物)。
よく見ると綴りがFRISBIEと
なっている。
いつかこれでパイを焼こう。
D.D.Jam所蔵

フリースタイル誕生

 最初のフリースタイルはキャッチ&スローからだった。投げる、キャッチするという単純な動作から、トリックを入れて投げる、フェイントを入れて投げる、足の下で取る、背中の裏で取る、頭の後ろで取る、体を転がすといった様なトリックを入れたものになった。そのうちディスクの中心をを指の先で打つ(チッピング)うちに、そのチッピングから爪の先でディスクが回ることを発見するや、フリースタイルにおいて画期的な発明!?ともいうべき"ネイル・ディレイ"が生まれた。多分1976年から1977年当たりのことだと思う。

 この頃は年一回、フリスビーの世界選手権"ローズボウル"がアメリカのパサディナ、ローズボウル・スタジアムで盛大に行われていて、その16mmの記録フィルムを見た記憶では、フリースタイルではベラスクェ兄弟が76、77年の連続の世界チャンピオンだった。その演技は派手でカッコよく、キャッチ&スローでこんなうまい奴ら見たこと無いという衝撃に近い素晴しい演技だった。その次の年にはネィル・ディレイが主流になっていたので、このあたりの年にネィル・ディレイが生まれたのだろう。

 ローズボウルへの憧れ
 
1959年にアメリカでFRISBEEが登録商標され、1967年にIFA(国際フリスビー協会)が設立、1974年に第1回のフリスビー世界選手権が、アメリカ・カリフォルニア州パサディナ市のローズボウル・スタジアムで開催され1981年まで続きました。その為、フリスビーの世界選手権のことをローズボウルと表現していた。
 日本では1960年代後半に初めて紹介されたと言うことになっているが、当初は玩具として紹介されたようであまり普及しなかったようだ。僕も小学校の頃(30年位前)スピーグルというフライングディスクで遊んだのを覚えている(小学校内では廊下でポリバケツのふたを投げてたっけ)。


 1975年にはフリスビーをスポーツとして本格的に普及していこうということになり、JFA(日本フリスビー協会...今のJFDAの前身、現在の日本フリスビードッグ協会とは違う)が愛知県名古屋市に設立。1976年には第1回の日本選手権大会が開催された。以下、日本選手権はローズボウルへの日本選手団の派遣選手選考の大会ともなった。個人総合ポイントの上位6位までが日本の代表選手として派遣された。種目はフリースタイル、D.D.C.、ディスタンス、MTAの4種目。



海辺でのプレーは一定の風を利用しての
ボディロール、エアブラシが楽しい。

 さて、ネィル・ディレイが主流になると、フリースタイルの幅が大きく広がり新しい技が次々と生まれてきました。毎年日本選手団がローズボウルに行って帰って来ては、新しい技を情報収集してこれを覚えるというのがパターンでしたね。

   今やフリースタイルというとこのネイル・ディレイが出来ないと始まらない。まずはここがスタートなのですが、このネイル・ディレイが出来るようになるまで時間がかかり、またやっと爪の上に乗って安定して回り出しても、それから技を覚えるのにまたまた時間がかかるので、どうにもフリースタイルのプレーヤーが増えません。プレーヤーというのなら日本では数える程度ですね。 練習も自分との戦いだし、うまく出来ない頃はハタから見たら結構無様だし、何といっても教えてくれる人がいないって事もあってくじける人も多いんですかね。でもある程度出来るようになると、こんな面白いのもなかなか無いので、頑張って練習してほしいな。6ヶ月か1年練習すればどうにかなるよ(長いか)。



 日本におけるフリースタイルのピークはいつ頃だったでしょうか。それは1978年から1982年頃でしょう。そのなかでも1980年頃は沢山のプレーヤーがいました。ちなみに手元にある資料で確認したところ、この年の全日本大会のフリースタイルの参加パーティー数は、何と!オープンで60組!!人数で138人。レディスでも18組39人。凄い数字です。

70年後半ってこんなカッコだったなぁ。
代々木公園にて。多分。

代々木フリスビーファミリー(私的)

 さて、日本におけるフリスビーのピークにおいて、忘れてならないのが代々木公園を主戦場(?)としていた代々木フリスビーファミリーの存在である。1970年代後半、日本は西海岸ブームとやらでサーファーやスケボー、テニスがはやった時期があって、フリスビーもこれにもれず、もの凄くはやって誰もが一度は投げていたと思う。流行なんかの発信も代々木公園を中心とした原宿、渋谷周辺で、当時の代々木公園のNHK横の広いコンクリート広場は、今のように植樹やホールなどなく、ただたんに広いだけのコンクリートの広場であり、フリスビー、テニス、スケボー、ローラースケーターなんかのスポーツの社交場だった。日曜とかなると本当にどこから集まるの?っていう位。

 ここにはいろんなフリスビーのチームも練習に来てたけど、その中でも当時日本でダントツの実力を持ったフリスビーチームが代々木フリスビーファミリー。その名の通り代々木公園をベースに練習するチームでファミリーと称するだけあってメンバーは中学生からシニアまでと幅広く、人数は100名以上はいたんだけど、自然と1軍、2軍、3軍みたいな感じで、1軍は日本チャンピオンやトッププレーヤーなんだけど異常に普通じゃない(個性があるともいう)人達、2軍はちょっとうまいけど普通の人達、3軍は顔も知らないっていう構成で、1軍の人達の性格は別として確かに彼等が日本のフリスビーのトップレベルを保っていた。
他のチームが代々木公園に練習しに来るっていうのは彼等の技を見たり、盗んだりするためだった。彼等が練習始めると他のチームの人達はやめちゃうんだよね。おまけに彼等は体育会系のノリが大嫌いの個人主義だったりするんで他のフリスビーチームより、代々木公園にくる他のスポーツや変わった人達との付き合いが多かった。
今じゃもう無くなってしまったフリスビーチームだけど、このチームなくしてはフリスビーは語れないのでした。

代々木フリスビーファミリー同窓会
なんと20数年ぶりに代々木フリスビーファミリーの同窓会がありました。
今では各地に散っているので、なかなか実現出来ませんでしたがついに開催のはこびとなりました。


フリスビー全日本大会

 当時フリスビーの大会は、個人と団体の全日本選手権が年一回ずつあって、それと各予選大会、プライベートな大会があった。特に個人の全日本大会は総合6位までに入賞すれば、日本代表チームとなって世界選手権に派遣されるので当時のフリスビー・プレーヤー達はこのために練習してたくらい。

全日本の種目は花形だったフリースタイル、ディスタンス、MTA、DDCの4種目。それらの上位ポイントを合計して上位6位までが決まる(女子は2位までだったと思う)。プレーヤーが多いためポイント的に2種目の決勝に残れば上位6位に入れるという感じだった。この決勝進出の常連が代々木フリスビーファミリーのメンバー。「代々木を倒せ」とか、「代々木じゃ勝てねーよ」とかいい意味で刺激を与えてた。フリースタイルなんて予選で失敗してもネームバリューで準決勝にいけたりしてたからなぁ。開催地は毎年変わっていて、フリスビーの大会は日本フリスビー協会(当時JFA)が主催で本部が愛知県にあった。代々木フリスビーファミリーは本部と仲が悪かった…かも?


フリスビー世界選手権(ローズボウル)

 世界選手権は毎回アメリカ・カリフォルニア州パサディナのローズボウル・スタジアムで行われていたので、プレーヤー達は世界選手権のことをローズボウルと呼んでいた。選手団はチャンピオン・プロダクツから揃いのジャージをもらい空港で記者会見なんかもあったりした。で、選手達の結果はというと当時は全然歯が立たなくて、上位を狙うというよりも楽しんでくるという感じ。しかしこの何年後かには日本人のチャンピオンも生まれるんだけど、それは後の話。自由時間に映画やショップ巡りはお約束。
 世界選手権の派遣期間は10日間位で、帰ってくる日本選手達のみやげ話が楽しみだった。新しい技の紹介やら、情報を仕入れていた。こういう時も、行った本人達から直接聞けるので代々木フリスビーファミリーはますますレベルが上がったりする。
 当時はまだビデオもない時代なので、もっぱら8ミリでローズボールの記録をして来て、それを見るのはすごい楽しみだった。あやしいショップで買った変な8ミリもあったけど…。

 この世界選手権(ローズボウル)も1982年を最後にロースボウル・スタジアムでは行われなくなり憧れの大会だったローズボウルは実質的になくなりました。
この年あたりから日本の大会にもスポンサーがつきづらくなり、じょじょにフリスビーの冬の時代に入っていった。


今のフリスビーは?

 日本フリスビー協会(JFA)は日本フライング協会(JFDA)と名を変えて、 個人の全日本大会も続けて毎年開催していますが、プレーヤーが絶対的に不足しているのが現状です。フリースタイルなんて、いきなり決勝にでれるくらい参加者が少ない。そんな風なんで個人戦の大会もこの全日本大会だけしかありません。最近、九州地方では個人戦も開催されてるようですが...。かわりに団体の全日本大会(アルティメット等)については大学生を中心に参加者も多く、地方大会も盛んに行われています。JFDAも個人戦より団体戦の方に力を入れてる状況で悲しいものがあります。あと、ディスクゴルフやフリスビードッグもそれぞれ独自の協会のもと、盛んに大会が行われています。

しかし、最近では若い人達を中心にフリースタイルが盛り上がって来つつあります。フリースタイルのようなオリジナリティーあるプレーは自己表現の手段としてもカッコ良いし、ライフスタイルにも重なる部分は多く、ファンが増えてくるのは必然のような気がします。
 東京を始め、名古屋、京都、九州とディスクを楽しむプレーヤーが増えて来ました。
昔の様に、毎日曜には代々木公園で練習してる風景も出て来たので、これからが楽しみです。

世界的にはFPA(フリースタイル・プレーヤーズ・アソシエーション)とWFDF(世界フライングディスク連盟)が毎年世界選手権を開催しています。今ではこの大会に出ようと思えば、オープンで出れそうなのでぜひ目標にして欲しいものです。

 ちなみにフリスビーっていうのはWham-o社(米)の登録商標のブランド名なので一般にはフライングディスクといいます。念のため。